2006年11月08日
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些事極論
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■自殺予告の話
自殺予告手紙:「生きていくのがつらい」……手紙全文@毎日新聞
なかなか強烈な内容。
いたずらの類と思いたいが、それにしては文章から立ち上る妖気が尋常ではない。
それを受けてこんなエントリを見つけた。
人権を失ったまま生き続けても、そんな命に意味はない。@アンカテ
人権は命より大事なものだ。絶対に守るべきもので、もし奪われたらどのような手段を取ってもそれを訴えるべきだ。訴えが聞かれなかったら、聞かれるまで訴え続けて、それをやり尽くしてそれでもダメだと思うなら、人権侵害を止める唯一の手段が自殺だと思うなら、死んだほうがいい。
自殺以外に逃げ道を見つけることができなかった者に対して、自殺に至る経緯を無視して命の大切さを説くことに意味はないということか。
そうはいっても自殺という手段そのものがだめなことは確か。このエントリに対して以下のようなTBがついていた。
命について@結城浩のはてな日記
essaさんのエントリは途中まで正しいことを書いているが、結論は誤っている。大間違い!
<中略>
これはレトリックでも何でもなく、とにかく、理屈抜きで、自殺しちゃだめ!
自殺にいたるまでの問題はただ自殺によって忘れ去られるのみで、解決も終了もしない。場合によっては問題があったことすら周知されないかもしれない。
そもそも自殺によって守ろうとしたものは何か?
絵空事@404 Blog Not Found
まず、一つ確認しておこう。人権というのは、絵空事であることを。
人権を莫迦にしているからではない。
人権を大切にしたいから、人権が絵空事であることから目を背けるべきではないのだ。
絵空事、というか「人権」がある種の共同幻想めいた側面を持つことは確か。
「人権」なるものは所与のものとして万人に与えられてはいるが、保障されているわけではない。公安9課の人も言っていた。
そもそも、人権を侵害している主体は誰か。
■[雑記] 自殺予告への対応について。 @児童小銃
被害者に死ぬなとかヌルい事言う前に、
- いじめの加害者にいじめをやめるよう言うこと。
- 加害者は犯罪者であるとはっきり言うこと。
- せっかく改正した少年法です。事件として立件すること。
- いっそのこと「いじめ」という言葉をやめてはどうか。
- 「児童虐待」でしょ? これって。
おそらくここに、数の非対称を元にした怠惰または誤解がある。
たいていの状況において、いじめる側のほうが多数であり、いじめられる側は単数または少数だ。
多数であるから対処が大変そうに見える。多数であるから罪を背負わせると一人当たりの荷重は極端に少なくなる。多数であるから渡っている場所が赤信号でも気にしない。もしかすると多数であると赤信号でもわたるべきだとその場のローカルルールが出来上がるような気がするかもしれない。
第三者の立場から見ると、自覚の薄い多数を相手にすると暖簾に腕押しのような気がする。それよりは少数のほうに対して何か言ったほうが、少ないコストでパフォーマンスがあがるような気がする。
たぶん手当てをするべきは、多数の方なのだ、ほんとは。
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