2004年08月12日

[  些事極論  ]

うらはないよおもてだけ

「血液型」を保育に活用 阿部氏が具体例報告 Yahooニュース
えー。まじですか。

チラッと血液型の話題を集めてみた。

血液型-性格関連説について 懐疑
Blood Factry 懐疑
ABOFANへの手紙 懐疑

ABOFAN 肯定
血液型人間学 肯定

これは肯定派のリンクだけど、なるほどと思う記述がある。
血液型の話 占い総合大学
こういった血液型による性格判断に対して異議を唱える人たちがいます。その多くは次のようなことをあげています。
 ・そもそもたった4種類に分類して、性格を判定するということ自体に無理があるのではないか。結果的に各血液型の性格を記述することばは曖昧なものになり、誰にでも当てはまる。
 ・血液型と性格を結びつける信頼すべき統計資料が存在しない。
 ・理論的根拠が曖昧である。
しかし、こういう形での批判というのは諸刃の剣で、結果的に血液型性格判断を批判する側にも、きちんとした否定するための資料が存在しないことを示しています。そもそもこの形式の批判は全ての占いに対して適用できるものでしょう。
オカルト系の人たちが自分たちの主張は正しいといっているその根拠を、徹底的に突き詰めていくと最終的には「絶対無いとはいえないじゃないか、あるかも知れないだろ?ほら、きっとあるんだよ」式の理屈に落ち着くことが多い。というかほとんどのケースがそうだろう。
ないものをないと証明することは悪魔の証明なんていわれることもあり、条件をきちんと考えないと知らずに無限ループの泥沼にはまる。たとえば「この箱の中には林檎ない」などのように探す範囲(箱の中)と探す対象(林檎)が明確に決まっていればあるかないかの判定を下すのは簡単だ。しかし「この世などいない」とかいうと、この世とはどこからどこまで(月の裏側は調べた?あんがい火星あたりにいるのかも)で神とはナニモノ(いや、俺の神様はそんなちんけなものではない)かを定義しないと、定義された範囲の外側にいくらでも逃げ場がある。
論争のやり方としては「そんなこというなら絶対無いことを証明して見せろよ」と吹っかけておいて、あとは根気と体力の限りを尽くして逃げ回れば、いずれ相手がくたびれてあきらめることを期待できる。相手が先にあきらめたらしめたもの。「ほうれみろ」といって勝ち誇ればよい。なんでもいいから千日手に引きずり込んでやれ。
実際、上記のABOFANへの手紙でも立証責任はどっちのあるのかなんて議論になっていた。
しかしそれは議論上の方便であって、悪魔の証明に持ち込まざるを得ないような言説は実際には価値はない。

・・・・
なによ、その目つき。「自分とこでさんざん占いページを紹介しておいて血液型だけそんなこと言うのか」だって?。
そんなのだって、みんな信じちゃいないでしょ。ああいうページはさ、根拠もないのにお前はこうだって決め付けられるときに感じるヒネクレタよろこびを楽しむためのもんさ。占いってなそんなもんでしょ。
投稿者 snjx : 2004年08月12日 01:14
このエントリーのトラックバックURL:
http://snjx.net/mt/mt-tb.cgi/228
コメント
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?