■「終戦のローレライ」上:下
福井 晴敏
講談社 (2002.12)
通常24時間以内に発送します。
福井 晴敏
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名も知らぬ 遠き島より
流れよる 椰子の実ひとつ
敗走するUF4に海底に遺棄され、くるかどうかも分からない救助を待つ小型潜行艇ナーバル。その冷たい海水に半ばまで満たされた狭くて暗い耐圧殻の中でかすかに響く少女の声、ローレライの歌。曲は島崎藤村作詞、大中寅二作曲「椰子の実」
序章で掲げられたこのイメージに俺はもうコロリとやられちゃったよ。うまいねー。
いや、この人がうまいのはわかっていたよ。「亡国のイージス」は読んでいたからさ。だけど、「イージス」では航行中の護衛艦の船底に空いた穴から人間のダイバーが人力で出入りしているシーンがあって、んなことできるかい!って思っちゃったんだよ。「イージス」自体はおもしろかったよ。舞台設定もよく調べてあったと思うしキャラクタもドラマもすごかった。だけど、その小さな瑕瑾が気になって次の作品になんとなく手が出なかったんだよ。けど、これは今まで読まなかったことをちょっとだけ後悔したね。
圧倒的なメカ描写と権謀術数渦巻く政治劇、そして戦争が生み出す極限の人間ドラマ、それになによりパウラ萌えでドライブされる物語だけど、ホントに大事なのは、物語の要所要所で舵取りをする折笠征人の無定見のまっとうさだ。
ああ、こっから先はネタバレ。しかし、ネタばらさずにおもしろさを伝えるのって難しいなぁ
ページをめくる手が止まらない。(長いよ)
折笠上工兵の無定見の真っ当さはなにかあるたびに周囲の人間にほんの少し影響を与える。実は折笠上工兵自身にはそれほどたいしたスキルはない。海龍特攻隊の候補で、ちょっとすもぐりがうまいだけだ。しかし、何かにつけついつい口に出てくる折笠の言葉や、本人にも気がつかないうちに体が動いてしまうその行動は、あまりに当たり前すぎて、そばにいる人間を知らず知らず突き動かす。
最初の大きな進路決定は、二杯のガトー級潜水艦に追い詰められたときの織笠の言葉で決まった。ローレライシステムは構造的な欠陥がある。敵潜を一杯沈めるとシステム自体がシステムダウンしてしまうのだ。それはつまりパウラ自身が潜水艦一杯分の乗務員の死の衝撃をすべて受け止めてしまうからだ。ガトー級一杯約60名の死の瞬間を、60人分の怨嗟や後悔や恐怖や苦痛、それらをすべて感知してしまい、受け止め切れなくなって気絶してしまうのだ。
しかし、ひとつだけ、回避する方法がある。それは特殊な薬品を服用させることでパウラの感受性をマヒさせる方法だ。ただし、この薬は、不可逆にパウラの魂を殺しローレライシステムの一部にしてしまうものだった。
二杯の敵潜に追われ、一杯を沈めても次の一杯にはローレライが使えない。この危機に対してパウラは自分からその薬を飲むと言い出した。ドイツの研究所にいた時もローレライとしてUF4に乗り込んだ時も、実験動物か秘密兵器の部品としてしか扱われなかった自分を、伊五〇七のクルーはほんの短い間だが人間として扱ってくれた。いずれその薬を飲んで機械部品になるのだったら、今、ここで、自分の意志で薬を飲んで、伊五〇七の生き残りをはかりたいと、ああ、もう、この辺でちょっと思い出してうるうるしている俺がいるよ。パウラの受けた人間扱いなんて、たいした事ないんだぜ。アカギレにきちんと手当してもらったとか、特配のカルピスでシャーベットつくってもらったとか、電力不足で艦内の空調がほとんど停まっているけどパウラのいる医務室だけは停めてないとか、ほんのちょっとしたことばかりだ。そのために自分は部品になってもいいのだと、いうんだよこの子は。
しかし、折笠はここで黙っちゃいない。平の工兵ふぜいが何階級も上の艦長に向かってそんなことしちゃだめだと口走るのだ。折笠だって、もともとは特攻隊候補だ。いまだったら秋葉原を駆けずり回って買いあされば手にはいるような制御部品の替わりに人間を詰め込んで送り出す特攻。人間を部品の一部とみなすのは海龍もローレライも同じだ。折笠は健康な男子なら、国のために戦死するのがあたりまえの教育を受けていた。それなのに折笠は、パウラがローレライに組み込まれることを否定する。
面白いのは、フリッツ少尉と伊507のクルーで行動が逆転することだ。折笠の発言以前は伊507のクルーはパウラが薬を飲むのもやむなしと言う雰囲気だった。対して、たった二人だけの兄妹が何とか生き残るためにドイツから亡命してきたフリッツ少尉はここまできて妹を機械部品にしたくない。
しかし、折笠の言葉を聞いた後は、フリッツ少尉はだまってパウラに薬を渡そうとし、伊507クルーはパウラの薬なしで難局を切り抜けてやろうと覚悟を決める。泣かせるのがうまいよなぁ、おい。
そして二つ目の進路決定は、これは下巻前半の山場でもあるが、魔人朝倉良橘の思想に真っ向から食ってかかった時だ。
朝倉良橘は独自に特殊な終戦工作を実行していた。それは日本に対するある種の裏切り行為を伴うのだが、しかしすでに日本のほうが数多くの将兵に対して裏切りを行っている。朝倉と朝倉を指示する将校はそう考えていた。引くことを知らない拡大政策と、輜重を考えないいいかげんな用兵により、南海の孤島に取り残される皇軍兵士。しかし、兵士個人には絶対の服従を求めその命をすりつぶすことを顧みない大本営。そこにはびこる怠慢、怯惰、傲慢、不遜。それらをすべて一掃し、強靭な日本民族を再生するためには「国家の切腹」を断行しなければならない。伊507とローレライシステムを引き渡すことで、アメリカに3発目の核爆弾を天皇陛下のおわす帝都東京に投下せしむる。それが朝倉良橘のいう「国家の切腹」であった。
これにも折笠は黙っていなかった。
朝倉の部下に占拠された伊507艦内で、絹見艦長すら朝倉の思想に取り込まれかけるなか、ひとり折笠だけが反駁する。「でも、東京にいる人はみんな死ぬ」。
この、無定見の真っ当さというやつは、なかなか厄介だ。それが正しいかどうかの保証や説明がない。法則やルールを明文化できない。しかし、言われれば、ああそうだと、初めて気が付く。
折笠の発揮する真っ当さは、イデオロギーや主義主張などとは別のナニモノカだ。
たとえば、理詰めでいけば、あの時パウラに薬を飲ませるのも仕方なかっただっただろう。結局は絹見艦長の奇策で切り抜けるのだが、それでもローレライが二杯目にも使えるなら奇策など弄さずとも簡単に勝てただろう。
朝倉の思想に対してもそうだ。なぜ日本が負けたのか、いやそもそもなぜ戦争に突入したのか、朝倉の指摘そのものはおそらく正しい。敗北に瀕した皇軍兵士としては、単に無反省に敗北するよりは、将来の日本人がより強靭に再生することを望んだとしても無理もない。
しかし、折笠は、それらに否をつきつけた。伊507の生き残りに妙案があったわけでもないし、日本の将来に対して何か考えていたわけでもない。ただ、否と唱えたのだ。
普通に考えれば、折笠の声など小さいものだ。どんなに折笠の言い分が真っ当であろうと、目先の危険を回避するために、とか、将来の国家のためになどといったより大きな理屈が反論を許さないだろう。しかし、折笠の言葉は、少なくとも伊507の人々は動かした。折笠の真っ当さが伊507の進路を決定したのだ。そのとき、ローレライシステムと海幽霊は、折笠の無定見の真っ当さが世界に対峙するただ一つの道具になる。
本当にうまいと思うのは、あたかも付け足しのように書き加えられたパウラの戦後六十余年だ。ネットの感想とか読んでると、みんなあまりこの部分に注目してないみたいだけど、ここが肝要なんだぜ。
どうにか日本までたどり着いたパウラと折笠は、戦後のどさくさに紛れて日本の一般市民の中に溶け込み、終戦直後の焼け野原で二人の生活を始める。何もない東京で、亡くなった戦友の父母の厚意にあずかりながら、折笠は廃材を集めて掘っ建て小屋を作り、パウラとの居場所を作る。そしてパウラ、いや温子も折笠と一緒に焼け野原を懸命に駆け回りながら二人の生活を作るのだ。やがて結婚し、二人の子をなし、その子供たちもそれぞれに連れ合いを見つけ結婚し、孫ができ、歳を重ねた折笠が病に倒れ、いまパウラ=温子も年老いてゆく。その間、日本はGHQの占領を受け朝鮮戦争の特需で潤い、人々はがむしゃらに働き、奇跡の戦後復興を経て、しかし自由と引き換えに何かを失い、失った自覚もなしにバブルが崩壊し…人類の科学はローレライなど問題にならないほどの兵器を大量に保持し消費する、つまり、俺達の知っている現在に至る。それはまた、朝倉良橘が半ばまで予言した世界でもあった。その六十余年の、その年齢の日本人としては恐らく当たり前の人生が、ぎゅぎゅと圧縮されて提示されている。そこではきっと、パウラ=温子は、昔は美人だったろう普通のおばあちゃんだ。それはたぶん、俺達のおやじおふくろ、じいさんやばあさんがたどってきた道と同じのはずだ。うちに帰って聞いてみな、この最後の数十ページで記述されている中のどれかに似たエピソードくらいは聞けるだろうから。
このパートの分量は全体の割合からみるとほんの微々たるもんで、でも、このパートこそがこの作品を凡百の架空戦記やキャラ萌え小説との格の違いを見せつけている。なぜなら、このパートがあるからこそ、俺達のいる現実世界のすぐそこまで、あのかすかなローレライの歌声が聞こえてくるのだ。
ネタばれここまで。
しかし、我々の暮らす現実世界はパウラもいないしローレライシステムもない。でも、いまさらローレライなぞ活躍するスキもなく強力な兵器があふれかえっているのは、あの世界と同じだ。
われわれは、はたして折笠のように、
無定見の真っ当さを持ち得るだろうか。そして、この圧倒的に大量な、反論のできない狂気に対抗できるだろうか。
映画が楽しみである
潜水艦って一杯二杯って数えるのね。
福井晴敏 Official Web Site
投稿者 snjx : 2004年05月30日 16:31